やりたいことが見つからなかった私が、大学卒業後に就職を辞めて、フリーランスになった理由

f:id:morimuu:20160906230024p:plain

生まれ育った札幌市の高校



札幌市内の大学進学と

浪人も留年もせずに、ストレートに進んだ私が

大学卒業後に選んだ道は、


北海道の岩見沢市という北海道民でもどんな街か知らない【人口8万人規模】の地方で、

{08CFD466-9755-4781-9D01-B1024DA5DA66}

フリーランスとして働くという道。



よく「すごいねー」と言われますが、

皆さんに支えられまくっているので、

凄くも痒くもありません。



今回は、

私が大学卒業後、就職辞めて、フリーランスになった経緯を綴ります。





違和感しか感じなかった就活
大学3年 被災地へ1か月研修

f:id:morimuu:20160906232311j:plain

障がい者が働く施設で、地域住民を巻き込んだイベントを企画するという内容でした。
当日も盛況でした。
しかし、1か月では、地域の課題を何も変えられない悔しさを感じ、
札幌に戻ってから燃え尽き症候群になっていました。
 
そこで、企画書を書き、北海道予選を勝ち抜き、
東京で開催されるビジネスプランコンテストにプレゼンしにいきました。
 
そうそうたるメンターの前でプレゼン
結果は、「実現可能性が足りない」という理由で落選。
 
実力不足を感じました。
 
「持続可能な地域づくりのプロジェクト設計を学びたい」
 
 

私だって、一応、就活は経験しました。

真黒なリクルートスーツ着て、

合同説明会に行って。



でも、みんなと同じように頑張れませんでした。
 
スーツを着て、
一生懸命、面接練習、ES練習する就活に違和感。
吐き気がしそうになったのです。




そこで、

大学2年生のときに、インターンシップした6次産業化をしている会社の門を再び叩きます。

その会社が主催のセミナーに出席。

セミナーが終わったあとに、

社長に突撃。

森村「地域づくりを仕事にするにはどうしたらいいんですか。」



社長「うちでは①国や道からの委託事業、②講演、セミナー、③農業の商品開発だ。




やってみれば?





やってみれば?


やってみれば?
 
やってみれば?





その社長の軽くて重い一言を突き付けられ、


私は即答するのでした。



「是非、やりたいです!


被災地で落ちている課題は、
全国どこの地方でも落ちている課題だ。
被災地まで行かなくても、札幌(通っている大学)から近い、岩見沢で課題を解決し、持続可能な地域をつくるプロジェクトを学べるのではないか。
 
ワクワクしたのです。



岩見沢市の活性化に全力投球する大学4年
 
社長のおかげで、大学生がなかなかいけない、
さまざまなイベントや勉強会に出席させてもらいました。
 
そのなかでも、
 
のコーディネーター研修に、社会人に混じり参加し、
全国各地でまちづくりをしている大人と出会い、
そこでは目指したい働き方をしている大人がたくさん居ました。
 
「私は地域コーディネーターになりたいんだ」とやりたいことが明確になりました。
 
 
地域づくりを仕事にすることを目指して、

最初に任された仕事は、社内の大掃除。

その三か月後、

念願の岩見沢商店街活性化のコーディネート事業を任せてもらえることに。
{55B941EA-2041-4F00-B5E5-92E5C4CE1B71}



念願の地域活性化=仕事にできた。


月給6万円。


●商店街に、札幌市の大学生をインターンシップする企画
{6A5EE509-2A2E-453D-8B6F-0A4380F665E1}



●商店街の情報誌の編集
{F6AA73E7-E943-4EE0-965E-C7CC932AA2C6}



●商店街での街ゼミ
{84E2FEDE-C09D-42FD-9213-FEAF9B0CF01C}



とにかく、

仕事 週6

ゼミ 週1

恋愛も卒論もそっちのけで、

がむしゃらに企画運営しました。
 





決断を迫られた大学卒業間近


実は大学4年生になって、
 
6月にはNPO、一般企業、中小企業と何社か内定を頂きました。

しかし、辞退。

そして、12月には、
 
被災地支援のNPO団体に内定を頂いて、

行くことにしました。

ですが、

大学4年生の3月に迷うことになるのです。


お世話になっている商店街のアクセサリー屋の社長(60代)が、

アクセサリーをプレゼントしてくれました。

「卒業おめでとう」





お世話になっている商店街の社長から

「あそこのお店がフェイスブックやりたがっているんだけど

手伝ってくれない?」頼まれました。


今までは、「フェイスブックやりませんか?是非、やらせてください!」

お願いする立場だったのに…。





そこで、気付きました。

f:id:morimuu:20160906225711p:plain




仕事になっちゃった



「私、岩見沢の商店街でこの活動を続けたいです。」

お世話になっている岩見沢の30歳の経営者に打ち明けると、

なんと

数日後

電話が。

経営者「120万確保したから。」


私がインターン生として行っていた事業に

単純計算で月10万、

120万を用意してくれて、

晴れて、独立することになりました!!!!






高校卒業後、若者は岩見沢から出て行きます。

地元の人は言います。

「何もないよ。意味ないよ。」




しかし、私は、岩見沢に来て、多くの愛をもらった。
 
自然が近いこと、食べ物がおいしいこと、人との濃い繋がり。

本当に大事なことに気づかされた。





私は便利なまちで育ちました。


札幌駅に近く

徒歩10分圏内にスーパー3個(24時間)、コンビニ4個、病院、小学校、地下鉄、バス、タクシー、区民センター、ラジオ局、アリオ札幌、薬局、公園、レンタルビデオ店、カラオケ、リサイクルショップ、スポーツ店、全て揃っている場所で育った。

徒歩20分圏内に中学・高校・札幌ファクトリーもある。
(映画、プリクラ、飲食店、洋服店、家具屋)自転車で20分で札幌駅・大通り。

小学校の時は、友達と、土日は札幌ファクトリーで映画見たり、プリクラ撮ったりする。

「はじめてのおつかい」は、エレベーター降りて徒歩1分のコンビニ。

「不便」はなかった。仕事も選べる程多くある。

下手したら、徒歩10分圏内で生涯を終えることも出来る。家は10階




便利になっていく過程できっと大事なものが失くなりつつあったんだと思います。

気づいたんです。




私にとって、生きていくうえで、「映画館」や「家の目の前のスーパー3個あること」は重要じゃなかったんですね。

 
私の人生で重要なことは、
 
気の合う誰かと、今はない「新しい何か」を創り上げること
 
イベントという一過性のものではなく、
 
地域というフィールドで、創っていくことをしたかった。
 



地方で「岩見沢商店街の魅力を伝えること」を仕事にしたい。
 
お世話になった人と新しい何かを創りたい。

 
その想いを叶える為の手段が、

フリーランス

だっただけなのです。
 

f:id:morimuu:20170503163220p:plain